kkote blog

にゃんずとか介護とか。

なんなのそれは。な話

最近はワガママに週1で有給。行ったからってどうなるわけでもないが行くのをやめたらそこまでのような気がして。

今日もそんな感じで、母の病院に行く途中に病院から電話があって、意識がなくなって検査してみたら脳梗塞を起こしたらしいので、治療可能な急性期病院に緊急搬送すると言われ。なんつうタイミングだよ…と思いながら病院に着き、そこからはもうバタバタする看護師さんや救急車の人に言われるままに荷物持って歩いて。

どたばたの末に転院先で検査結果を聞いたらば。

脳梗塞はもうかなり時間が経っていて、それより肺に問題があってそっちが命に関わるからそちらの治療をします、と。

…は?

もしかして状態が悪くなり始めたのはそれが原因?白血球が異常に高いと言ってたのにレントゲンも撮らず抗生物質で終わらせてた?というか脳梗塞放置?

療養型病院の凄さをやっと実感した。職員の人達はとても一生懸命やってくれていたし、いい人達なのはわかっているけれど、たぶんスタンスが違うんだよね。いわゆる私達のイメージにある病院は治療して退院させるけれどああいうところはほとんどの人がそういう状態ではない。家族もそれはわかってるから治療に積極的に口は出さない(まあ、出せないよな)。でも基本中の基本は押さえてると思ってたけどね、そうでもないんだね。

送迎バスの中で「ここの先生はなんちゃって先生だから…」と言ってた方がいたのは、なるほど、こういうことか。

今回、意識がなくなったことで治療受けられてよかったのかもしれない。とか、私って追い詰められると前向きだな。


って思ったんだけど。内科の先生に話を聞いたら、かなり危険な状態らしい。うん…。


もう少し。

女性の生理痛や不順には精神的なことが影響している場合があるらしい。初潮の時に母親や家族に「あらめんどくさいの始まったちゃったねえ」なんて反応をされると、生理イコール負のものと印象を持ってしまうからだそうだ。最初の時点でどんな風に感じたかは、生理にかぎらず他のことでも同様に影響するのではないだろうか。

私が死について初めて意識したのは、従姉妹の家にあった本を読んだことからだった。今考えても小学生だった私に理解できる内容ではない。やめときゃいいのに、年の離れた従姉妹が本を読んでいることに憧れて手にした本は、骨肉腫に冒された女子高生の壮絶な闘病記だった。

人間は朝になっても目覚めない日が来る。そんな漠然とした恐怖でしばらく友達と遊ぶこともできずにぼーっと公園にいた記憶がある。小学生が無言で座り込んでいるなんて、周りから見たら異常な光景だっただろう。その後ずいぶん長い間、寝る前に「明日、今日と同じように目が覚めますように」と誰にともなくお願いするのが習慣になっていた。あの頃から、私にとって生きるとは、もがくことになったのかもしれない。

母はやはり食べない。全身の栄養状態が悪く、このままでは危険だとわかっているが今は胃ろうを作ることもできないため昨日からは鼻からチューブを入れてもらうようお願いして、栄養を摂るようにした。1月に入院した時に時間が戻ってしまったようだ。もしかしたら母は自宅に戻れないことを自覚して、もう諦めているのではないかと思っている。私が願うのは、ただのもがきかもしれないとも思っている。それでも。もう少し、もがかせてほしい。

 

 

(ほんとの)夢の話。

最近、誰か解説してと思う夢をよく見る。先週は祖父母の家に関する夢だった。祖父母は私が高校生の頃に東京から茨城に引っ越したのだが、たまに夢に出てくるのは私が子供の頃によく行った東京の方だ。そこには今は知り合いは誰もいないし、そもそも周辺がどうなっているかもわからない。不思議なことにこれまで夢に出てきたのは、駅からその家までの「道」。家自体は出てこない。先週もそうだった。ただし今回は向かっているその家がキレイに建て替えられていると「わかって」いて、それを楽しみにしながら歩いていた(祖父母が亡くなっていることもわかっている)。家に着く前の交差点で目覚めた。

昨日見た夢は母が出てきた。何かの映画みたいに、そのままでは地球が滅亡してしまう状況で、私は脱出することになり(今の状態ではなく元気な)母に別れのため会いに行っていた。その時、母に育ててくれてありがとうとか産んでくれてありがとうとか、そういうことを言っていた。実はこういうことをまったく考えたことがなかったのに気がついて驚いた。そうか、そう思ってたのか。
目が覚めて、いやーもうこの年では脱出しないで若い人に譲るんじゃない?と思ったのは余談。

母はやはりほとんど食事を摂らない状態が続いている。

梅干って…。

あいかわらず、母は食事を摂ろうとしない。食べられない状況ではないのにあまりにも食べようとしないので、病院から本人が好きなものを持ってくるように言われた。母が好きなものと聞いて思いつくのは刺身、ラーメン、漬物、梅干、団子という糖尿や腎臓病の人どころか健康な人だって食べすぎはだめよなものばかり。私はこれらをほとんど食べない。胃が弱いのでラーメンなんてよほど調子のいいとき年に数度食べるだけなのに、母は私に隠れてしょっちゅう食べていた。
ラーメンのスープなんて持っていけば喜んで口を開けるのはわかっているが、さすがにそれはできないので梅干しと水ようかんを持って行ってみた。

試しにおかゆに梅干を乗せたら一杯分をほとんど完食。2〜3口で終わっていたのを考えると見事な結果だった。わかりやすい。
それと。食べないのは母のコミュニケーション嫌いが関係しているのではないかと思っている。まずいと思っているものを親近感を持てない人に口に突っ込まれるのは嫌だろう。私がやると多少でも口を開けるのはそれじゃないだろうか。
といっても自分でスプーンを持って食べられる状態ではないから仕方ないけど。今度、持ちやすそうなスプーンを持っていってみようか。

母を見ていると繋ぎ止めるものについて考える。私という存在が彼女にとってどれくらいの大きさなのかはわからないが、もし自分があの年で入院したとしたら。体は満足に動かず金銭的に余裕もない状態で家族がいないのに敢えて退院したいと考えられるとは思えない。
人が生きるための目的になるものはいろいろいろある。家族というのはたぶんその中でもすごく単純で強い力なのだと思う。結婚しなくても子どもが欲しいと言う人の気持ちがわかった気がする。いまさら。

とくに管理職におねがい。

母の病院に問い合わせてみたら、あの後、透析はできたらしい。よかった。とりあえず1回、1回の透析で数日ずつ生きて伸びて、と願っている。

前回、「私が諦められるまで」と叔父に話したと書いた。同様のことを同僚に言ったら「あ・・・そうなんですか?(まだ諦めてないの?というニュアンスで)」とナチュラルに言われてしまった。若い彼女にとってはまだ親が亡くなることの現実感がないからなのか、それとも私が親離れできなさすぎなのか、自分では判断ができないのだけれど、どちらにしても今の時点ではあんな風に言われたくなかったなあ、と弱ってるので思ってしまった。

私の状況が広まっているのか、最近は社内で介護に悩む人達が話していく機会が増えた。話していてよく出てくる件がある。
もし自分の周りに辛い状況の人がいたら、「わかるー」という同調には注意していただきたい。切なる願い。生活環境や育ってきた環境、家族構成などよほど似た状況でもないかぎり、その人の気持ちなんてわかるわけがない。私もそういう言い方はしないように気をつけている。わかってほしいのは辛い、悲しいという気持ちを複雑に抱えている状態だということ。具体的に何かしてほしいのではなく少しだけ察してくださいということ。べつに介護じゃなくたってどんなことでも同じだと思うけど。
まあ、とりあえず兄妹や奥さんにまかせっきりだったおっさんが「俺も親のとき大変だったよ」って言うのだけはやめてくださいね。後ろから殴りたくなると皆言ってるから。こういう人の想像力ってどうなってるんだ。

笑えるということ。

叔父が母の面会に来てくれた。私が会ったのは6〜7年ぶり。母はもう10年以上会っていなかったと思う。子供の頃は親戚にもよく会っていたが大人になってから会う機会といえば結婚式か葬式ばかりになってしまった。
昨日は比較的反応もよかった母だが今日は話しかけるとわずかに頷くくらい。それでも叔父が帰るよと声をかけた時には、大きく頷いて口を開けていたからわかってはいたのだろう。
母の兄妹達は叔父以外軽くはない病の状態で、みんな年だからと笑いながら少し話をして。それでも私が諦められるまでもう少し頑張ってほしいんだよねと言ったらまた少し笑ってた。
老いや死を受け容れる笑が私にはまだできないんだよなあと思った。
そういえば祖父母が亡くなったのは叔父が私くらいの年齢の時だったかもしれない。

期待とか願いとか覚悟とか。

数日前、母の病院から呼び出しがあり、先生から話したいことがあるから来てくれと言われて。
前回透析中に血圧が下がってしまいできなかったことと体のどこかで強い炎症が起きていること、そして食事がまったく摂れなくなっているという説明をされた。炎症については(肺炎ではないらしい)強い抗生物質を投与していくが透析ができなければ2週間で心臓がもたなくなる。今のうちに会わせたい人がいれば、と。
なんというか、ひとことでいうと現実感がない、としか言いようがなく。まだ、と思う反面でここまでかという思いと。それから私自身が区切りをつけられるかどうかという不安と。いろいろな説明のつかない思いが輻輳している。

とりあえずその翌日の透析はできて、今日も無事に終わって戻ってきた。話しかけると首を振ったり頷いたりはするが会話らしい会話にはならない。食事は看護師さんと2人でなだめすかして、少しだけだが口を開けてくれた。

いまの状態をどの時期と考えればいいのかわからない。